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東京地方裁判所 平成7年(刑わ)658号 判決

主文

被告人は無罪。

理由

第一  本件公訴事実の要旨

被告人はオウム真理教(以下、「教団」という。)に所属するものであるが、同じく教団に所属するA及びBらと共謀の上、

第一  平成六年一二月上旬ころから平成七年三月二二日までの間、山梨県西八代郡上九一色村富士ヶ嶺所在の第六サティアン及び第一〇サティアンと称する各教団施設並びに第六サティアン付近のコンテナ内の独房と称する個室内において、C(当時二五歳)に対し、同人が教団の分裂を図ったなどとして、多数回にわたり、全身麻酔剤等の薬物を注射するなどして意識障害状態に陥らせ、あるいは右コンテナ内の独房等に同人を閉じ込めて監視するなどし、同人を右各施設から脱出することを不可能ならしめて監禁し、

第二  平成六年一二月下旬ころから平成七年三月二二日までの間、教団を脱退して自宅に帰ることを希望したD(当時二三歳)に対し、前記第六サティアン等において、その頭部等を多数回殴打するなどの暴行を加えた上、麻酔剤等の薬物を注射して意識障害状態に陥らせ、あるいは第六サティアン及び前記コンテナ内の独房等に同女を閉じ込めて監視するなどし、同女を右各施設から脱出することを不可能ならしめて監禁した

ものである。

第二  当裁判所の判断

一  関係各証拠によれば、以下の各事実が認められる。

1  教団から、教団分裂騒動の首謀者と目されたCは、平成六年一二月上旬ころ、上九一色村の教団施設に連れて来られ、そのころから平成七年三月二一日までの間、Eら教団の内部組織である治療省の信者によって、第六サティアン内のシールドルームと称する個室等において、チオペンタールナトリウム等を注射あるいは点滴投与されて意識障害状態に陥らされ、右シールドルームの外から施錠されて閉じ込められた上、監視されるなどし、同月二一日から翌二二日までの間、A及びBらによって、第一〇サティアンにおいて、レボメプロマジンを注射されて意識障害状態に陥らされ、監視されるなどしていた。同日午前七時ころから、警察による教団施設に対する強制捜査が開始され、Cは、その際、警察官により意識障害の状態でいるところを発見され、警察官に救出された。

2  教団信者の甘言に乗せられ、上九一色村の教団施設に連れて来られたDは、平成六年一二月下旬ころから平成七年一月一五日ころまでの間、治療省の管理の下、E及びFら治療省の信者によって、第六サティアン内のシールドルーム等において、施錠されて閉じ込められた上、監視されるなどし、引き続き、同月一五日ころから同年三月二一日までの間、教団の内部組織である自治省の管理の下、Gら自治省の信者によって、第六サティアンの北側に設置されたコンテナ内の独房と称する個室等において、施錠されて閉じ込められた上、監視されるなどし、さらに、同月二一日から翌二二日までの間、第一〇サティアンにおいて、G、A及びBらによって、監視されるなどしていた。Dは、前記強制捜査の際、警察官に助けを求め、救出された。

右の各事実からすれば、教団所属の信者らが順次共謀の上で、C及びDを、それぞれ公訴事実記載の期間、監禁したことは明らかである。

二  検察官の主張の骨子

検察官の主張の骨子は、被告人は、C及びDが第一〇サティアンに監禁されていた平成七年三月二一日及び同月二二日当時、第一〇サティアン全体の責任者としてその全体を自己の支配下に置いて管理していたもので、C及びDに対する監禁状況を認識しつつ、A、B及びFらと共謀の上、警察官が第一〇サティアンからCらを救出することを妨害し、同人らの監禁状態を継続させる行為に出たから、被告人は各監禁罪の共同正犯であるというものである。

三  被告人が第一〇サティアン全体の責任者であったか否かについて

関係各証拠によれば、被告人は、教団の内部組織である文部省の次官と称する肩書を持ち、本件当時は、文部省子供班の担当者として教団出家信者の子供達に勉強を教えていたもので、前記強制捜査の際には、同省の大臣と称する肩書を持つHの指示により、第一〇サティアン二階の文部省の管理する場所の立会い責任者をしていたことが認められる。しかし、それ以上に、被告人が右強制捜査の際、第一〇サティアン全体の責任者であったと認めるに足りる十分な証拠はない。

この点、検察官は、被告人が第一〇サティアン全体の責任者であったことを裏付ける根拠として、〈1〉被告人が右強制捜査の際、二人の警察官に対し、自らが責任者である旨告げていること、〈2〉被告人は、右強制捜査の際、第一〇サティアン二階の文部省が管理する場所だけでなく、同サティアン一階及び三階を含め同サティアン全体の立会いを行っていること、〈3〉第一〇サティアンの立会人であったIから、だれか女性信者が助けてと書いた紙を警察官に渡したらしい旨の警察の捜索状況に関する報告を受けていること、〈4〉右強制捜査の際、第一〇サティアンにいた教団信者の中で、ステージと称する教団特有の階層付けや教団省庁制における地位の点において、一番高い地位を有していたこと等を挙げている。

しかしながら、前記のとおり、被告人は右強制捜査の際に文部省の立会い責任者であったのであるから、被告人が警察官に対し責任者である旨言ったとしても、それほど不自然ではなく、直ちにそのことから被告人が第一〇サティアン全体の責任者であったと推認できるものではなく、また、被告人の教団内での地位が高いことからすれば、被告人が、同サティアン全体の責任者でなくても、他の部署が使用する部分の捜索にも関心を持ったり、捜索中に起きた重大な事柄について他の者と情報を交換するというのは自然なことである。さらに、関係各証拠によれば、第一〇サティアンは、被告人が所属していた文部省のほか、自治省、治療省、大蔵省、労働省、法皇官房などという複数の組織が場所を分けて共同して使用していたものと認められるところ、証人Eが、治療省、法皇官房及び自治省などの複数の組織が共同使用していた第六サティアンの場合、それらの組織により共同管理していたと証言しているほか、右強制捜査に立ち会っていた分離前の相被告人Aも、公判廷において、本件当時の第一〇サティアン全体の責任者がだれであったか分からない旨の供述をしているところ、右証言等の信用性を疑うべき事情は特に存しない。

以上からすると、検察官が指摘する点をもってしても、被告人が第一〇サティアン全体の責任者であったと断ずることは難しく、ましてや、右事情から被告人が第一〇サティアン全体を自己の支配下に置いて管理していたと推認することなどできないと言うべきである。

また、そもそも、本件において、被告人が第一〇サティアン全体の責任者であったとしても、そのことから直ちに、被告人が、C及びDが監禁されていることを認識した上でそれに関与したと推認できるものでもないから、以下、被告人が本件当時、C及びDの監禁状態についていかなる認識を有し、監禁につきいかなる関与行為を行ったかを検討する。

四  C監禁について

1  被告人のCについての認識

関係各証拠によれば、被告人は、平成元年か二年ころ、当時出家信者として教団施設内で活動していたCのことを知るようになり、その後は、会えばあいさつをする程度の間柄であったことが認められる。

しかしながら、被告人が、Cが本件監禁状態にあった際に教団施設に滞在していることを認識していたかに関しては、被告人が、公判廷において、三月二二日の強制捜査の際の状況として、「体格の比較的よさそうな人が大広間で寝ていたという印象はあるが、顔は見ていないのでそれがCかどうかは分からない」旨供述している以上にその認識を認めるに足りる証拠はない。さらに、被告人が、右供述にいう大広間で寝ていた人が監禁状態にあることを認識していたか検討すると、この点について、被告人は、公判廷において、寝ている人は「何らかのイニシエーションをやっているんだろうと思っていた、それが警察の方に理解されなくて、何か不審を持たれているんじゃないかと思った」と供述しているところ、関係各証拠によれば、教団では、同教団でいうところの修行の一環として、信徒に対してその同意の下に各種の薬物を投与して意識障害下におくということが行われ、それをイニシエーションと称していたことが認められるから、被告人の右供述が不合理であるとはいえず、したがって、右の大広間で寝ていた人に関する被告人の認識から、被告人が、寝ている人が監禁状態にあると認識していたと推認することはできない。

2  被告人のC監禁に対する関与行為

(一) Cが第一〇サティアンに移る以前の、平成六年一二月上旬ころから平成七年三月二一日までの間の監禁について、被告人が関与したと疑わせるような証拠は全くない。

(二) 関係各証拠によれば、Cは、第一〇サティアンに移った同月二一日及び二二日の両日は、A及びBから、睡眠薬を注射されたり、監視されるなどして、監禁されていたことが認められる。

被告人が、Cに対し、睡眠薬を注射したり、監視したりすることに関与したと疑わせる証拠としては、その旨の証人Cの証言及び同人の平成七年四月七日付け検察官調書がある。しかし、関係各証拠によれば、Cは、監禁されていた間に、平成六年一二月中旬から平成七年一月上旬にかけて、Eから、多数回にわたり、チオペンタールナトリウムを点滴使用しながら、電気ショックを与えて記憶を消去させる「ニューナルコ」と称する措置を受け、その後も多数回にわたり麻酔剤等を注射あるいは点滴投与されるなどして意識障害下に陥らせられていたことが認められ、そのため、C自身、同人が救出された平成七年三月二二日の時点では、同日からさかのぼって三年分くらい記憶がなく、自分の家族すら覚えていなかった旨証言するほどの状態にあったのであり、同人の証言によれば、その後徐々に記憶が回復してきたことは認められるものの、監禁されている間の記憶は、なお極めて断片的であり、かつその多くはあいまいで、日時の経過に関する感覚も明確なものではない。しかも、Cは、検察官に対しては、被告人から注射を打たれたとして、その際の被告人の行動を具体的に供述したものの、公判廷での供述内容は、何か注射を打たれたような気もしないでもないというあいまいかつ漠然としたものであり、被告人から注射されたのか、他の者から注射された際に被告人がいたという記憶なのかも判然とせず、注射された時期及び場所、注射された前後の状況等については、記憶がないとして具体的な証言をしていないのである。また、分離前の相被告人Aは、三月二一日に自らがBと共にCを第一〇サティアンに移動させた際にCを被告人に引き継いだということはなく、被告人がCに注射したということもない旨公判廷で供述しているが、右供述は、Aが、自らが教団の一員として犯罪に加担したことを反省して、自らや他の教団信徒の犯行への関与について具体的に供述しつつ被告人の関与を否定していることから、信用性が高いものと認められる。これらの事情に照らせば、Cの右各供述は信用できないと言うべきである。そうすると、被告人がCに注射したり、監視したりしたとの証拠はないことになる。

(三) なお、関係各証拠によれば、被告人は、警察官が意識不明者を搬送しようとした際、これに対して、他の信徒らと共に、「修行仲間を連れていかないで欲しい」などと言って抗議したことが認められる。

しかしながら、前記のとおり、教団では教団でいうところの修行として信徒の同意の下に薬物により意識障害状態下におくということが行われていたのであるから、右の言動をもって、検察官主張のごとく、被告人がCの監禁状態を継続させたものであり、Cが監禁されていたことを知っていた証左であると評することはできない。

3  以上から、被告人は、Cについて、その存在及び監禁状態について認識していたとは認められず、Cの監禁について関与したとも認められない。

五  Dの監禁について

1  被告人のDについての認識

被告人とDの接点については、被告人が、Iから、前記強制捜査の際に、女性が紙に助けてと書いて警察官に渡した旨聞いたことが証拠上認められる程度であり、証人Dも被告人の顔については見覚えがない旨証言していて、被告人が具体的にDの存在及びDの監禁状態を認識していたと認めるに足りる証拠はない。

2  被告人のD監禁に対する関与行為

Dが第一〇サティアンに移る以前の、平成六年一二月下旬ころから平成七年三月二一日までの間の監禁について、被告人が関与したと疑わせるような証拠はない。

関係各証拠によれば、Dは、第一〇サティアンに移った同月二一日以降は、A、B及びGから、睡眠薬を手渡されたり、Gら自治省の信者及びA、Bによって監視されたりして、監禁されていたことが認められるが、被告人がDに睡眠薬を渡すこと及び監視することに関与したと疑わせる証拠はなく、その他、第一〇サティアンにおける監禁に関与したと疑わせる証拠もない。

六  結論

以上のとおり、本件各公訴事実については犯罪の証明がないことになるから、刑事訴訟法三三六条により被告人に対し、無罪の言渡しをする。

(裁判長裁判官 三上英昭 裁判官 辻川靖夫 裁判官 友重雅裕)

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